2012年02月28日

思考回路(3)目的は何?

「ここ掃いた?」

 昔、学校で掃除の時間にそんな事を聞く人がよくいましたが、あの人たちにとって掃除って何だったんでしょうね。既に誰かが掃いていたとしても、まだゴミがあるなら掃かなきゃいけないわけですし、誰も掃いてなくても全然ゴミがないのなら掃く必要はありません。キレイにするのが掃除の目的ですから、掃くかどうかはキレイかどうかで決める事であって、既に掃いたかどうかで決める事ではないはずです。つまり「ここ掃いた?」という質問には何の意味もないし、それどころか掃除というものに真剣に取り組んでいない事を自ら白状しているようなものです。中高生の頃の私は、そんなアホな質問に真っ向から直球を投げ返す生徒でしたから、そういう面では結構面倒くさがられた存在だったような気がします。今の勤務先でも金曜は事務室のフロアを自分たちで掃除する時間があって、やっぱりアホな質問をする部下がいるんですが、人間ができてきたのかダメになったのか判断がつきませんが、直球は投げ返さずにチラッと横目で見て無視するようになりました。心の中で思っている事は同じですが。

 そもそも、きちんと目的を理解して、目的を達しようと思って行動すればこんな事は起こらないはずです。さすがに掃除のケースで目的を理解していない人はいないでしょうから、その目的を達しようとして行動していない、つまり惰性でほうきを動かしているだけだという事でしょう。こういうのが大嫌いなんですね、私は。

 少年野球の練習で、何も言わずにしばらく放っておくと、すぐにこの惰性の動きがグランドいっぱいに溢れてきます。今やっている練習が、一体どういう目的でやっているのか、何を意図した練習なのか、だからどういう所に気を配って練習しなければならないのか、といった事を理解しないまま練習をしたり、理解していてもやってるうちに何時の間にかどこかにぶっ飛んでしまっていたり。

 低学年の練習においても、私は必ずその練習の意図、目的を説明するようにしています。最初に説明してから練習を始める場合、ある程度練習をやってから途中で説明する場合、一区切りしてから説明する場合(その場合休憩後に同じ練習を行う)など、内容によって色々なケースがありますが、とにかく必ず目的を説明するようにしています。4年生くらいになればある程度理解できるでしょうが、1年生や2年生には理解できない事もたくさんあるでしょう。もしかしたらほとんど理解できていないかもしれませんが、私はそれでも構わないと思っています。練習には必ず意図するところ、目的というものがあって、効果的な練習にするためにはそれを理解し、意思をもって練習する事が大事だという事を、説明⇒練習というプロセスを通じて低学年時代に理解できないまでも何となくでもいいから感じておいてもらおうと思っています。高学年になればいずれちゃんと理解できるでしょう。

 「感じる」だけでヤモヤしていた事が「理解」に変わった時、驚くほど大きな力になることを私は経験的に知っています。微分と積分がそうだったように・・・。
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2012年02月25日

思考回路(2)集中力

「〆切はその事を思い出すためにある。」

 これは私が学生時代、もう25年以上前の話ですが、研究室で3年間指導を受けた教授の言葉で、事実その先生は学会発表の要旨などは必ずと言っていいほど〆切の日に取り掛かっていました。

 さすがに私は「〆切はその事を思い出すためにある。」とまでは言いませんが、余裕をもって仕上げるという事は意図的にしないようにしています。なぜなら、その方が時間を効率的に使うことができるからです。どんな状況下にあっても優れた集中力が発揮できる人なら話は別でしょうが、私のような怠惰な人間は、期限に余裕がある状況で、圧倒的な集中力を発揮して短時間で目的物を仕上げるなんて事はなかなかできません。ところが尻に火がつけば、自分でも驚くほどの集中力を発揮して、短時間で成果物を得る事ができてしまうのです。〆切1ヶ月前なら3日かかる事が、〆切前日なら同じ質のものが3時間でできてしまうわけです。たぶん誰でも経験のある事だと思いますが、意図してそうすることで無駄な時間を作らなくて済むと私は考えています。

 私の先生の言葉が意味するところは、仕上げて形にする「作業」なんてものは、尻に火がついた状態で集中して短時間でやればいいのであって、それまでは創造的な事にたっぷり時間を使いなさいという事なのだろうと私は理解しています。例年、撮りためた少年野球の映像をまとめて一年の終わりにビデオ作品を作って団の総会(卒団式)の日に上映していますが、これもアウトプットを作るのはほとんど直前の1週間で、毎年前日の夜徹夜して完成させている状態です。それまでは頭の中でイメージをあれやこれや思いめぐらせているだけで、いわゆる「作業」はほとんどしていません。毎年徹夜になるんだから、いい加減学習して余裕をもってやれよと思われるかもしれませんが、私としてはこれでも一応先生の教えを守っているつもりです。

 この考え方は受験にも当てはまるような気がしています。受験のための勉強というのは、この最後の「作業」のようなもので、こんなものは直前の半年で集中してやればいいものだと思っています。2年も3年も前から受験に備えた勉強という名の「作業」をやるのはバカバカしいと思うし、もっと他の楽しい勉強の仕方、楽しめる勉強というものがあると思います。そもそも勉強というのは楽しいもののはずですから。そういえば私の先生は「集中力を養えること」が受験の最大のメリットだと仰っていました。確かに本気モードの受験を経験した人とそうでない人では集中力に差がある事が多いような気がします。
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2012年01月24日

思考回路(1)損得

 私は今まで一度も競馬で損をした事がありません。

 大人の娯楽にはお金がかかるもので、なかなかタダでは遊べません。子供を遊園地に連れて行けばお金がかかる、ボーリングに行ってもお金がかかる、キャンプに行ってもお金がかかる。この時、それで十分楽しめば誰も損をしたとは思わないはずです。その楽しみの対価としてお金を使っているからです。私にとって馬券を買うのに使ったお金は、競馬を楽しむために払った対価ですから、遊園地で遊ぶために払ったお金と同じだと考えています。遊園地で遊んで帰るときに、入園料を返してもらえないからといって損をしたと思う人はいないでしょう。それと同じで、馬券を買ったお金が返ってこなくても損をしたとは私は思わないわけです。私にとって馬券を買うお金はレジャー代だという事、そういう考え方をしているという事です。

 ところが競馬というやつは、時々お金が返ってくるどころか何倍、何十倍にもなって懐に転がり込んでくる事があるわけです。絶対に損をする事がなく、時々儲かることもあるのですから、そう考えればこんな楽しいレジャーはありません。長い期間で見れば、懐に入った金額より買った馬券代の方が高いのは間違いありませんが、それでも儲かっている(と考える)わけです。

 ちなみに私は競馬で儲かったお金は即座に使ってしまう事にしています。ギャンブルで稼いだお金はギャンブルに使えという人もいますが、私はギャンブルには使いません。数千円程度なら家族にご馳走して使ってしまいますし、数万円のオーダーなら必需品でないモノを買うという消費活動をする事にしています。最近だとホームベーカリー、PS3、無線LAN機器の買い替え(性能向上)、固定電話機の買い替え(まだ使えてるけどちょっと怪しくなっていた)、PSPなど買わなくてもすぐには困らないものを買うのに使いました。私はゲームはほとんどやらないので、PS3はBlu-rayプレーヤーで、PSPはパソコンで録画したテレビ番組を持ち出して時間のある時に見るのに使っています。そうそう、息子と娘にコートを買ってやったりもしました。

 間違いなく言えるのは、どれもこれも単にお金を使わずに貯めていただけなら絶対にそれらに自分のお金を使って買ったりはしないものばかりだという事です。競馬によってトータルで考えればお金は減っているはずですが、お金を減らさずに貯めていた場合には買わない(買えない、買う気にならない)ものが躊躇なく買えてしまうのです。そういうところに使う事に意味があると思ったりしています。一応、景気向上に繋がる消費活動をしているつもりだったりもして。。。
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2010年12月11日

ビジュアル活動記録

 先日、息子の同級生のお父さんであるYさんから写真データが収録されたDVDディスクを頂きました。1200枚強の写真ファイルとスライドショーが収録された2枚組の作品です。現在中学3年で受験勉強中の息子たちが野球部で活動していた時の写真を収録したもので、47試合という気の遠くなるような撮影活動に基づく貴重な写真が収録されたものです。1200枚強と書きましたが、それはセレクトして収録した数であって、実際に撮影した数はその数倍、いや、もしかしたら一桁上かもしれません。撮影のみならず、膨大なデータから取捨選択して整理したり、スライドショーを作ったり、ディスクのレーベルやケースの装丁を作ったり、しかもわざわざ自宅に足を運んで届けて下さったそのすべての労力を思うと、感謝などという安っぽい一言では言い尽くせない深い思いがあります。受け取ったのは家内で、私はその日の夜にその話を聞き、早速ディスクの中を覗いてみましたが、見た瞬間に「これは全ての写真を見終えるまでは安易にお礼を言っちゃいけないな。」と感じました。そして、全てを見終えた今これを書いています。単なる記録ではなく、心を動かされる作品として堪能させて頂きました。ケースの装丁も含めて、絵心のある方が作られた作品は凄いなあと、感謝以外に羨望の念を抱きつつ拝見させて頂いた次第です。

 前にも書いた事があるかもしれませんが、私はビデオ撮影と編集を趣味にしていて、現在大学1年の娘が小学生の頃から現在に至るまで、少女ソフトボール、少年野球、中学野球を撮影し、編集を続けています。試合の映像はもちろん、普段の子供たちの言動や活動の様子を映像という形で残す活動をしています。ただ、私のこの活動は「記録を残したい」という思いが支配的であり、作った作品には芸術の香りはほとんどありません。私には芸術のセンスなど無いのですから仕方の無い事です(と私自身は割り切っています)。私には絵心というものが全く無く、私の描いた絵を見た事のある家族なら容易に理解できる事ですが、自分で描いたもので記録を残したり何かを表現したりという事は不可能なのです。ならば撮影した映像で記録を残そう・・・というのがビデオ編集を始めたときの発想です。同様に以前このブログで、DTM(デスクトップミュージック)をやっていたという話を書いた事がありますが、私には音楽のセンスは皆無ですし楽器も演奏できません。ならばコンピュータに演奏させてみよう・・・という発想で始めたのがDTMです。更に言うと私はあまり喋るのは得意ではありません。今でこそ仕事で大勢の前で話したり、プレゼンしたりする事も多いので多少の慣れはありますが、決して上手ではない事は自覚しています。だったら文章で表現しようという発想で、ブログやツイッターなんてものができる遥か昔の1990年代後半に3年間ほどホームページで日記のようなもの(自分ではエッセイと呼んでいましたが)を毎日に近い頻度で書いていました。つまり、私が何かを始めるときの発想には「自分に足りないものを補うツール」というのが根本に存在しているわけで、決して自分の才能を活かす趣味ではないという歴史があるのです。

 今年も鴻巣タイガースの試合映像を十数試合、練習風景、子供たちの会話や日常の活動を撮影しましたので、試合映像の編集はもちろんですが、卒団記念になるような一年間の活動記録としての映像を2月の卒団式に合わせて今年も作ろうと思っています。それが一段落したら、息子たちが活動した中学の野球部の映像です。まだ編集できていない試合映像もかなりありますし、卒業までには「活動の記録」としてまとめたものを作って関係する方々にお渡ししたいと思っています。何れも芸術的な要素は全く無い「記録」ではありますが・・・。
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2010年03月15日

肖像権のその後

ちょっと前にコメントであーだこーだ言ってた人がいましたが、メールでいいから名を名乗れと言ったら結局それっきり音沙汰無くなりました。まあ、所詮そんなもんでしょう。
根性すえてやる気なら名乗るはずで、少なくとも私ならそうします。ちょっと前に前科もありますから分かる人には分かると思いますが。。。
一応ご報告しておきます。

昨日は中学野球の試合、今日は少年野球の試合を見ましたが、またいろいろ考えさせられる出来事がありました。またそのうちグダグダ書くかもしれません。
posted by kudakeishi at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記